家康公ご守護神と大本山清龍寺不動院

家康公ご守護神と大本山清龍寺不動院

本能寺の変により織田信長が自害したとき、僅かな部下と共に、大阪の堺にいた家康公は、人生最大の危機を迎え、三重県の伊賀を超え自城の岡崎城への多難な伊賀越えが始まる。この人生最大の危機に瀕した家康公とその一行を救い、三重の白子の浜から船で脱出させてくれたのが、服部半蔵を頭領とする伊賀忍者。恩義を感じた家康公は後に、同じ白子の地名のある、埼玉県和光市の白子一帯を領地として与えた。この地にある名刹の清龍寺不動院を、伊賀忍者は出城として、江戸城の警護に日々出仕していた。また不動院の法主は家康公より多大な石高を下付され、伊賀忍者の監督を行っていた。
このような関係で、家康公の生前の命により、二代将軍の秀忠公が当寺院に家康公のご守護神を祀り、以来約390余年の間、歴代住職により日々の灯明を欠かさずお祀りされている。
(現在の皇居の主要な門の一つである半蔵門は。伊賀忍者の頭領、服部半蔵の名残である)

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戦乱に終止符のご守護神

戦乱に終止符のご守護神

家康公が戦に出陣の際に、必ず首に掛け祈願していたご守護神。
天下分け目の関が原の戦いでは、長い民族同士の戦に終止符を打ち、国家統一のために、一世一代のパワーを発揮された、偉大な守護神と呼ばれています。
漆塗りの厨子の両扉に金色の葵のご紋が描かれ、厨子の上には首に下げる為の金属の輪があり、観音開きの扉の中には、金色に輝くご守護神の不動明王立像が安置されている。

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「智者不惑」の扁額

「智者不惑」の扁額

明治の軍神、乃木将軍は日露戦争の命運を決すると云われたロシアとの激戦地、旅順港を眼下にする203高地の攻略のため指揮官として出陣されるに際し、当不動院に1週間参瀧され、境内の不動の瀧に打たれ日本の勝利を祈願されていました。出陣前に揮毫された「知者不惑」の扁額が今も当山の観音堂に祀られています。
また、日露戦争を勝利に導いた宰相として世界的に有名な桂太郎総理大臣も、日露戦争の勝利を祈願し瀧行され、「神滝山」の扁額を奉納され、今も本堂の正面入り口頭上に掲げられています。

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