【 夏祭りの夜 】

文芸の部屋(笑)に戻る


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 今晩はこの町の一番大きな神社の夏祭りだ。僕はそれほど気分が乗らなかったのだが、耕作と早苗に引っ張りだされて来てしまった。



 神社の参道に続く、この町のメインストリートの商店街が車両通行止めになり、その両側に夜店がずらっと並ぶ。そして各町内会や地元企業の山車が通りの中央を通る。はっぴを着てはちまきを絞めた地元の人達が笛や太鼓を鳴らす。いかにも「祭」といった光景だ。

早苗:「あっ、金魚すくいよ! ねぇ、耕作、金魚取って〜。」
耕作:「よっしゃ、やったるぞ〜!」
早苗:「正男ちゃんも金魚すくいしない?」
僕 :「えっ、いや、僕はいいよ。」

 2人とも別に、僕に「仲のいいとこを見せつけよう」なんて気はさらさらない。純粋に僕を最大限にもてなそうとしているのだ。それはわかっているが、やっぱりつらい。僕は心の傷を癒しにここに来たのに、なんでまたこんなのを見せつけられなきゃいけないんだ?


早苗:「あれっ? 正男ちゃんは?」
耕作:「おっかしーな、ついさっきまで居たのに・・・」


 祭の場に来て15分もしないうちに、いたたまれなくなった僕は、人ごみにまぎれて見失ったふりをして、耕作たちのそばを離れた。


 僕は商店街から2〜3百メートルほど歩いて、河原に来た。三日月が出ている(厳密に新月から3日目の月なのかどうか知らないが)。空気が澄んでいるせいだろう、周囲に街灯なんかないのに、妙に明るい。

 夜空を見上げた。降るような星空だ。星空を、山々の黒いシルエットがギザギザに縁取っていた。東京では見られない天の川が夜空を流れている。

 僕は玉石の河原に仰向けに寝転んだ。

 ・・・流れ星でも流れないかな。そしたら絶対「彼女ができますように」ってお願いするんだけどな・・・


 呼吸するたびに草の匂いが鼻に流れ込んでくる。そこらじゅうから、やかましいほどのカエルの鳴き声の大合唱が聞こえてくる。ときどき、風の加減で祭の太鼓の音がカエルの大合唱に混ざる。


 ふと、人の気配を感じて僕は上体を起こした。いつからいるのか、僕の横1メートルほど離れたところに女の子が座っていた。

 年格好は僕と同じくらい、全然見覚えのない、知らない女の子だ。ストレートのロングヘアーで、服装は白いブラウスに白いロングスカート。膝を抱えて座っている。この地元の人ではない。どこがどう違うのか、とあらためて聞かれても困るが、とにかく一目見て「地元人じゃない」と感じた。

 僕は慌てた。突然の出会いを喜ぶ余裕なんかなかった。なぜこんなところに女の子がいるのか? なぜわざわざ僕のそばにまで来て座っているのか? 全く理解できなくて困惑した。

 何を言うべきかわからなかったが、何も言わずにこの場を立ち去るのも気まずいと思い、とにかく声をかけた。

僕  :「あ、あの〜、こ、こんばんわ。」
女の子:「うふっ、こんばんわ。あなたも東京の人ね。」
僕  :「そうだけど。」
女の子:「あたしは『高田ゆかり』っていうの。よろしくね。」

 何がどう「よろしくね」なのかよくわからないが。

僕  :「ぼ、僕は藤沢正男っていうんだ。この町に従兄弟がいて、今はそいつの家
     に泊まっているんだ。高田さんもこの町に親戚がいるの?」
ゆかり:「『ゆかり』でいいわよ。あたしは、西之台の療養所に入院してるの・・・
     あ、べつに人にうつる病気じゃないから安心して。」
僕  :「そ、そう・・・」

 西之台の療養所・・・この町の西の外れの、小高い丘の中腹にある療養所だ。この町の人にはほとんど縁が無い、そこに入っているのは東京の金持ちばっかりだ、と、耕作が言っていた療養所だ。

ゆかり:「今夜はここの町のお祭りでしょ。あたし、もうじきこの町を離れるから、
     そういうお祭りとか見るのは最後かもしれないと思って見に来たの。」
僕  :「ふーん。」

 ・・・もうじき退院するってことかな?

ゆかり:「でも、すごい人ごみで・・・人ごみを見た瞬間、どっと疲れちゃった。」
僕  :「そうだね、すごい人ごみだったね。」
ゆかり:「正男君もお祭りに行ったの?」
僕  :「うん、従兄弟と、その彼女といっしょに。でもはぐれちゃった。」

ゆかり:「あたしね、本当は彼と一緒にこのお祭りを見に行くはずだったの。去年は
     彼と一緒で、来年も一緒に行こうねって。」
僕  :「ふうん・・・」

 つとめて平静をよそおって答えたが、僕の心中は穏やかではなかった。

 ・・・この子にも彼がいるのか。やっぱりな。みんなそれぞれ、つれあいがいるん
だ。一人なのは僕だけか・・・


ゆかり:「でもね、彼とはもう会えないの。」
僕  :「ど、どうして?」
ゆかり:「あたしの病気、もう治らないの。二十まで生きられるかどうかも怪しいん
     だって。それを知ったら、彼はもうあたしに会いに来なくなったの。手紙
     を出しても返事はないし、電話をかけても、彼の親が出たら100%いな
     いって言われるわ。たぶん居留守だと思うけどね。たまたま彼本人が出て
     も、忙しいだのなんだのって、すぐ切られちゃうの。」
僕  :「・・・ひどい奴だなぁ」

 いきなり重い話題になってしまい、どう対処していいのか全くわからなかった僕は、それだけ言うのが精一杯だった。すると、ゆかりさんは「ふふ。」とさびしく笑った。

ゆかり:「別に、それが普通じゃない? あたしだって、自分が健康で、彼が二十ま
     で生きられないと知ったら同じことをしていたと思うの。正男君はどう?
     二十まで生きられない女の子でも変わらずに付き合い続けられる?」
僕  :「そっ、それは、・・・相手にもよると思うんだけど・・・ その、もし心
     の底から好きな女の子なら、そういうこともできるんじゃないかなぁ〜、
     とか・・・」
ゆかり:「無理しなくてもいいわ。人はみんな、恋だの愛だのって大騒ぎするけど、
     どこまでも、たとえば地獄までとか、本当にどこまでも一緒に行ってく
     れる人なんていないのよね。」
僕  :「・・・」

 本当に、どう対処していいのかわからない。住んでいる世界の次元が全然違う気がした。ほとんど同じくらいの年なのに、生と死をしっかり見つめている女の子。一方、従兄弟とその彼女が仲がいいのを見てふてくされている僕。

ゆかり:「ごめんなさい、会ったばかりの人に変な話しちゃって・・・」
僕  :「あ、いや、いいんだ。別に。」
ゆかり:「・・・ねぇ、もう一度お祭り見に行かない? あたし、誰かと一緒ならあ
     の人ごみも平気だと思うの。」
僕  :「う、うん。」

 それからのゆかりさんは、まるで別人のようだった。さっきまで、重い話題を語っていたときとはうって変わって、子供のようにはしゃいでいた。僕も、釣り込まれるように次第に気分が明るくなっていった。夢のように楽しい時間が、あっという間に過ぎる。

 やがて、花火が上がる。この夏祭りもいよいよフィナーレだ。

ゆかり:「きれいね・・・」
僕  :「うん、本当にきれいだね。」
ゆかり:「よかった、いい思い出ができて。正男君、本当にありがとう。」
僕  :「そんな、僕の方こそお礼を言わなきゃ。落ち込んでいたのに、おかげで立
     ち直れたよ。」
ゆかり:「・・・ねぇ、これ受け取って。」

 そう言うと、ゆかりさんはネックレスをはずし、僕の手に握らせた。

僕  :「そ、そんな高そうなもの、もらうわけにはいかないよ」
ゆかり:「いいの。どうせいずれあたしには必要なくなる物だし。お願い、受け取っ
     て。あたしがこの世に存在した証しを、誰かに持っていて欲しいの。」
僕  :「・・・」
ゆかり:「それじゃ、さよなら。これから、あたしの分までしっかり生きてね。」

 そういうとゆかりさんは駆け出した。

僕  :「待って! 療養所まで送るよ!」

 僕は後を追った。ゆかりさんは角を曲がった。僕もすぐにその角を曲がった。が、そこは5メートルほどで行き止まる袋小路だった。そこにゆかりさんの姿は無かった。そこはおそらく車1台分の駐車スペースだと思うが。周囲は家の壁と人の背丈より若干高いブロック塀だ。僕はゆかりさんに1秒半も遅れていない。その間にゆかりさんが塀をよじ登ったとはどうしても思えない。塀と壁には抜けられそうな隙間もないし、他に何か人が隠れられるような物もない。

 僕は茫然とそこに立ち尽くしていた。祭りが終わって、家路につく人々が時々、「この人、なんでこんな所に突っ立っているんだ?」というような不思議そうな顔で僕を見ては、去ってゆく。


耕作:「なんだ、こんな所にいたのか!」
早苗:「探したのよ〜、正男ちゃん。」

 耕作たちに促されて、耕作の家に帰った。


 僕の手元には、ゆかりさんのネックレスがある。その場の雰囲気で受け取ってしまったけど、数時間前に初めて会った僕がこんな高価そうな物をもらう理由は、どう考えてもない。やっぱり返すべきだ。明日返そう。名前はわかっているんだから西之台の療養所に行けばなんとかなるだろう。もうじきこの町を離れるって言っていたけど、まさか明日もういなくなっている、なんてことはないよな。かりに明日この町を出るんだとしても、朝一番で行けば間に合うはずだ。

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