【 僕と死神 】

文芸の部屋(笑)に戻る


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 ある日の真夜中、僕は異様な気配を感じて目を覚ました。なにか、この世のものとは思えない雰囲気・・・いよいよ僕は死ぬのか?・・・

 あたりを見回す。いつもの病室だ。しかし、一ヶ所だけ違っていた。窓があるはずのところに、直径2メートルはありそうな大きな穴があいていた。そして穴の向こうには病院の外の風景ではなく、見たこともない異様な空間が広がっていた。僕はあっけにとられた。

 やがて、穴の向こうから靄のようなものが病室に流れ込んできた。それで僕は初めて「やばい!」と感じた。僕は自分の病状も忘れ、とにかく逃げなきゃいけないと思った。が、なぜか体がいつもよりもはるかに重く、どうしても起きられない。

 どうしよう、と、とにかく看護婦を呼ぼう! 僕は枕もとのボタンを押そうとした。が、手が思うように動かない。僕は焦っているんだろうか? 落ち着け、落ち着け! やっとの思いでボタンを押す。これでナースステーションのブザーが鳴り、看護婦がとんで来るはずだ・・・早く誰か来て!

 靄は次第に集まり、固まりはじめ、やがてはっきりと人の形になった。そいつは仰々しいマントとフードで全身を覆っている。そしてそいつは、ぶわさっ!とマントとフードを脱ぎ捨てた。

「ぷはー、あっつい! やっぱり地上は気温が高いわね。」

 その顔を見て僕は声をあげた。そいつ・・・女の子だ・・・が河野さんに見えたからだ。

「河野さん!!」
「んー、誰それ? あたしはマリルっていうの。死神でぇぇす。あなたのお迎えに来たの〜。」


 ぱっと見た感じはものすごく似ている。声まで似ている。けど、よく見ると確かに違う。 ・・・妙に明るい死神だな・・・河野さんも明るい性格だけど、ここまで底抜けな感じじゃない。

 僕はあらためてそいつをまじまじと見た。黒いハイヒールのブーツに黒いレオタード。首には動物の頭蓋骨でできているらしい、うす気味悪い首飾りをかけている。が、この脳天気そうな女の子にちっとも似合っていなくてかえって滑稽だ。

 その、体の線がほとんどそのまま出ているコスチュームは、女の子の姿なんか長いこと見てない僕の目にはちょっと刺激的すぎる。僕はどぎまぎしてしまった。こいつ、こんな格好してて、色々な意味で、恥ずかしくないのか? さらによく見ると、頭に2本、根元の太さ3センチ、長さ5センチくらいの円錐状のツノが生えている。さらに、お尻のあたりから矢印みたいなシッポが出ている。やっぱりこいつは人間なんかじゃないらしい。

 それにしても、このマリルとかいう死神、顔つきといい、体つきといい、どう見ても「大人」ではない。せいぜい僕と同じ、中学生くらいにしか見えない。たとえばこいつが「去年まで小学生でした〜」とか言ったとしても全然違和感がない。
 「あの世」には労働基準法は無いのか? ・・・無いんだろうな、きっと。


 なんか毒気を抜かれてしまったが、油断しちゃいけない。こいつは死神だ。僕の魂を奪いに来たんだ。

「ぼっ、僕をあの世へ連れていく気だな。今ブザーを鳴らしたからすぐ看護婦がくるぞっ!」
「うふふっ。悪いけどムダよ。今この部屋には結界が張ってあるもの。誰も入ってこれないわよ。それに、結界の力でブザーも鳴ってないわ。」
「そんな・・・ いやだーっ! 死にたくないぃぃっ!」

 僕は暴れようとしたが、あいかわらず手足がやけに重い。手は全身の力を振り絞ってもわずかに持ち上がるだけだ。足に至ってはまったく動かない。なぜか首は比較的自由に動かせて、だから僕はマリルの方に顔を向けることができるのだが。

「動けない・・・ くそっ!! 僕に魔法かなんかかけたな!」
「あたし、何もしてないわよ。あなたの体が動かないのは魂が体から離れはじめているからなの。頭から遠いところほど動かしにくくなっているはずよ。」

 そうか! だから首は比較的自由に動くのか。納得納得。 ・・・じゃない!!

「うわーっ!! 誰か助けて! 殺されるーっ! 寄るな、死神っ!!」
「あなた、あたしの初仕事なんだから、てこずらせないでよね。あなたが今日死ぬってことは天界のスケジュールで決まってるんだから、あきらめなさいよ。
 誰がいつ生まれていつ死ぬか、ってことは天界の『もっとも崇高にして偉大なる宇宙の最高原理』によってすべて決められているのよ。多くの人間はそれを『神様』と呼んでいるけどね。で、あたしたち冥界の者は天界からの指示で死んだ人の魂を回収するのが仕事なの。別にあたしがあなたを殺すわけじゃないのよ。あたしはあなたの魂が体から完全に離れるのを見届けてそれを回収するだけだもん。」

 そこまで言ってから、マリルは急に不思議そうな顔をした。

「・・・ところであなた、あたしが見えるの?」
「見えるよっ! ムチャクチャ恥ずかしいコスプレした変な女の子がっ。」
「普通の人間には見えないはずなんだけど・・・まいったわね。たまにこういう人がいるらしいのよね。やりにくいなぁ。ま、いっか。あなた、おとなしく死んでよね。」
「僕はなにも悪いことをしていないぞっ!!その僕がなんで死ななきゃいけないんだっ!! 世の中にはもっと悪い奴がたくさんいるぞ。そいつらを先にあの世へ連れてけ!!」
「あのねぇ、『もっとも崇高にして偉大なる宇宙の最高原理』はねぇ、それはもう人間なんかは足元にも及ばないような高度な知性によって、一分の隙もない緻密で完璧な宇宙運営のスケジュールを組んでいるのよ。所詮あなたがた人間には理解できないだろうけど、『もっとも崇高にして偉大なる宇宙の最高原理』から見たら、人間の考えているような『善悪』なんか何の意味ももたないバカバカしい論理なの。
 あなたが今ここで死ぬのは、それがちゃんと宇宙全体の未来のために意味があるはずだからなのよ。・・・たぶん・・・あたしは天界の所属じゃないし、冥界の中でも単なる下っぱだから難しいことはよくわからないけど、きっとそうなのよ。」
「僕は将棋の駒かい? 勝つためにポイポイ捨てられる『歩』みたいな。」
「・・・あたしはこれ以上何も言えないわ。っていうか、すでに言わなくてもいいことを言い過ぎたような気もするんだけど。とにかくあなたの魂を持ち帰るのがあたしの任務だから、それを遂行するだけよ。」

 マリルは妙な呪文を唱えた。すると、掃除機があらわれた。どこからどう見ても普通の掃除機にしか見えない。

「ええと、コンセントはどこかしら? ・・・だいたい、冥界の機械を動かすのになんで地上世界の電気を拝借しなくちゃいけないのかしら。冥王様・・・あなたがた人間がハーデスとか閻魔とか呼んでいるものだけど・・・も本当にケチよねぇ。」
「その機械でなにをするつもり?」
「決まってるじゃない。これであなたの魂を吸い取るのよ。」
「・・・」

 僕は二の句が継げなかった。

「さぁ、お仕事、お仕事。 ・・・ふんふ、ふん。ふふふ、ふんふ、ふん。」

 マリルは鼻歌を歌いながらガチャガチャと掃除機のホースをつなぎあわせている。

 ・・・ツノとシッポのついた、レオタード姿の、河野さんによく似た死神が、鼻歌を歌いながら掃除機を組み立てている・・・なんか目眩がしそうなシュールな光景だ。

 掃除機で魂を吸い取られるのってどんな気分なんだろう? 掃除機に吸い取られて一生を終えるなんて、怖いと言うよりは情けない。

 それにしても、僕を迎えに着た死神が河野さんに似ているのは、これは偶然のなせるわざか、それとも『宇宙の最高原理』とやらが仕組んだことなのか・・・数秒後、僕は自分でもびっくりするような大胆なセリフをすらすらと吐いた。

「ねぇ、マリルさん。死ぬ前に最後のお願い聞いてくれないかなぁ」
「んー、なにかしら〜? タバコ? それとも末期の水?」
「僕とキスして。」
「う゛・・・ふ、普通の人間は死神なんかとキスしたがらないものなんだけど・・・」
「このまま、女の子とキスしたこともないまま死ぬなんていやだっ。」
「・・・そ、そしたらおとなしく成仏してくれる?」
「うん。どうせこの病弱な体で長生きしたってろくなことないだろうから、死ぬのは
別にいいよ。キスしてくれたらおとなしく死ぬよ。」
「・・・さっきあなたはあたしを誰かと見間違えたみたいだけど、あなたが本当にキスしたいのは、あたしじゃなくてその子でしょ。 ・・・いいわっ。あたしがキスして、それであなたが地上世界に未練が無くなるって言うなら。」

 なかばヤケクソのような態度になったマリルは、僕に顔を近づける。そして急に、ちょっと戸惑ったような表情でボソリとつぶやく。

「・・・あ、あたしも男の子とキスするの初めてなんだけどな・・・」

 どきん、どきん! 心臓が激しく鳴る。まずいかもしれない! なにしろ百歩と続けて歩けない僕だ。この激しい鼓動は致命的かも・・・ いいんだ。どうせ死ぬんだ。

 キスする相手が河野さんじゃないのが残念だけど・・・

 唇と唇がふれあう感触・・・そのあとはほとんど夢遊状態で、僕の記憶はあいまいだ。桃色の空間に浮遊しているような甘い感覚・・・でもそれでいてどこか、なにかが足りないような、やるせない感じ・・・そんな感じしか覚えていない。

 マリルは僕から顔を離すと、悲しそうな顔で言った。

「やっぱりあたしじゃダメなのね。」
「そ、そんなことないよ。僕もう死んでもいいよ。」
「ウソよ。あなた、全然『思い残すことはない』って感じじゃないじゃない。・・・別に覗き見する気はなかったんだけど、キスしたらあなたの心が見えちゃったの。その河野さんって子、本当にあたしに似ているのね。その子がうらやましいわ。こんなに強く思われているんだもの。」
「・・・」
「あなたにプラーナを流し込んであげるわ。これで死なずに済むはずよ。長生きして、その子と幸せになってね。」

(作者注:プラーナとは、生命力の元みたいな物だと思ってください。もともとはインドのヨガの用語で、よく「気」とか「気功」と和訳されます。)

 そう言うと、マリルは掃除機のホースを僕の口に突っ込んだ。体が動かない僕は抵抗もできない。次の瞬間、僕は怒濤のようにエネルギーが全身に流れ込んでくるのを感じながら、気が遠くなっていった。

−−−−−−−−


 ふと、気がつくとマリルはベッドの横にいつも置いてある、ホームセンターで1280円で売っていそうな、安っぽいスチールパイプ製の丸椅子に腰掛け、片手で掃除機のホースを持ち、もう片方の手で頬杖をついていた。その表情は明らかに「大後悔時代」である。

「ふー。」

 マリルがため息をつく。

 僕の体は、まだぎこちなさは残るものの、さっきよりは大分動くようになっていた。一体なにがどうなったんだ? 僕は上体を起こし、説明を求めるべくマリルに声をかけようとした。その時である。突如、一人の男があらわれた。

「こらあっ!!! なんてことをするんだッ!!」
「かっ、課長ぉ!!」


 こいつはマリルの上司らしい。ぴったりした黒いボディースーツを着て、やっぱり首には骨の首飾りをかけている。頭はスキンヘッドで、マリルより幾分立派なツノが2本生えている。人間で言えば40才くらいだろうか。やけにマッチョで、脂ぎった感じの男だ。そのままアメリカンコミックスの登場人物になれる。こいつも「死神」というイメージからは遠いぞ。死神ってもっと痩せこけた、陰気そうな感じだと思っていたんだけど。

 男は僕をギロリと睨む。

「一足遅かったか。もうこいつの魂を持っていくことはできん・・・ マリルっ、とんでもないことをしてくれたな! 天界のスケジュールをメチャクチャにしおって。人間なんぞに感情移入して任務を放棄するとはケシカラン!!
 新人研修の時から『死神適性度』が低いのが気になっていたんだが、こんなバカをやるとは・・・ おまえは死神失格だ!! ・・・くそっ! とばっちりで俺も部長のイスが遠ざかる。勤続25年、大きな間違いもなく地道にコツコツ勤めてきたのに、この大ボケ部下のおかげで俺も窓際族だ。ぐああ、なんてこった。」
「ごめんなさいっ! 課長ぉ〜、ほんの出来心です〜」
「とにかく帰るぞっ。帰ったら厳罰に処すから覚悟しておけっ! まぁ、間違いなく『消去』だろうがな。」
「そんなぁ〜。あたし消されちゃうんですか?」

 消去? 消去ってなんだろう? 言葉の響きがやけに重く、冷たい。僕らの世界で言うところの「死刑」だろうか? ・・・僕は思わず叫んだ。

「マリル!!」

 マリルは振り返る。が、一瞬後にその姿は課長と共に霧のようにかき消える。いつの間にか、あの怪しい大きな穴はいつもの病室の窓に戻っていた。マリルが出した掃除機も、マリルが脱ぎ捨てたマントとフードも、どこにも見当たらない。ただ、スチールパイプ製の丸椅子の、安っぽいビニール皮革の座面がわずかにお尻の形にへこんでいて、ついさっきまでマリルがそこに腰掛けていたことを物語っていた。

 一人残された僕は絶叫する。

「マリルーーーーっ!!」

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